額縁の歴史

額縁の歴史

額縁の歴史 額縁の歴史は、数万年を遡る洞窟壁画にその原型を見出すことができると言われています。洞窟壁画に描かれた絵と絵、絵と壁面に、それらを差別化する線が引かれているものがあるというのです。

ヨーロッパにおける歴史

現在の額縁の原型となるヨーロッパの額縁の歴史を見ても、キリスト教会の壁画や祭壇画のための縁取りが起源とされ、同じく神聖なものへの差別化がその原点と言えます。中世の祭壇画や宗教画の多くは板絵であり、それらを縁取る枠は板絵や壁面と一体化した額縁が中心になります。

十六世紀に入り、質の良い麻布が普及すると、絵画は板絵からキャンパス画に変わり、額縁も壁面から独立して、絵画とともに移動可能なものに変化し、十七世紀に入ると、一般市民の間でも壁に絵をかけて楽しむようになります。十六世紀初めにイタリアで形作られた額縁は、十七世紀から十八世紀にかけてフランスで大きく開花します。ブルボン家の隆盛による宮廷文化は頂点を極め、十七世紀、ルイ十四世様式とよばれる荘厳なバロック調の額縁が確立します。十八世紀に入るとバロック調からロココ調へと成熟し、ルイ十五世様式と言われる貝殻や宝石をモチーフにし、より装飾性が誇張された曲線美溢れる華麗な額縁に変身して行きます。当時の代表的なルイ十三世様式からルイ十六世様式に至る調度品のスタイルを踏まえてデザインされた額縁は、いまでも油彩画額縁の大きなシェアを占めています。

やがて王政が倒れるとともに、華麗な装飾から、直線的で重厚なアンピール様式へと移行して行きます。バロックからロココ、新古典様式と、建築物や家具調度品のデザイン様式と相まって発展した額縁デザインはヨーロッパ各地に広まり、オランダ様式やイギリス様式など、さまざまな様式が形成されて行きます。十九世紀、見たものをありのままに再現する写真の発明により、写実的な絵画は影を潜め、やがて印象派が台頭します。この頃から額縁は特定の様式に縛られることなく、様々なデザインを取り入れ、アールヌーボー、アールデコを経て、今日に至ります。

マットの歴史

一方、羊皮紙に代わる紙の技術が、十五世紀グーテンベルグの印刷術の発明から急速に進歩し、広く普及するようになります。紙に書く素描(デッサン画)や挿絵、版画は、フレスコ画や油彩画とは異なる表現を可能とし、十六世紀には、それら紙に描かれた作品の周囲を線や模様で縁取られるようになります。

十七世紀〜十八世紀にはラビ、フレンチマットなどと呼ばれる装飾的な縁取りがなされるようになり、これが今日の額縁と作品の間に存在する余白=マットの原型ではないかと言われています。今日でも、日本画を始め、多くの版画、デッサン画、挿絵などには、額縁と絵の間にマットの入ったものが多く見られます。

日本における歴史

日本における歴史日本古来の額縁の原型は、神社、仏閣、茶室などに名を彫り込んだ扁額と言われます。扁額の中でも、神社、仏閣、鳥居に設置された篆額は、書を篆刻した木の板が、彫刻の施された縁で装飾され、額縁の原型と言える形態です。八世紀、東大寺西大門に掲げられた聖武天皇の筆と伝わる扁額(天皇の直筆は勅額と呼ばれる)が日本最古の篆額といわれています。また、神社や寺に奉納される絵馬も、古くは太い額縁に囲まれた形態をなしていて、同じく額の原型とも言えるものです。

日本における歴史和額と呼ばれる、鴨居にかけられる横長の書などの額は、掛け軸の表装技術(紙額)とともに発展し、江戸から明治初期に、中国の南画や書を飾るために広く普及しました。一方、日本における洋額は、西洋から大量に文化が流入する明治以降に急速に発展します。明治十年に開催された内国勧業博覧会の様子を描いた三代目歌川広重の浮世絵には大きな額に納まった数十枚の絵画が会場の壁一杯にかけられています。明治以降、洋額の輸入はもちろん、海外からの知識や技術を元に模倣から始まり、日本独自の洋額が盛んに作りはじめられます。

明治28年、銀座に鏡の専門店がオープンします。鏡を縁取る様々なデザインの枠を製造していたこの店に、著名な画家が訪れ、絵画用の額の製造を依頼します。店主は、日本画用額縁を皮切りに、イタリアやフランスの洋額の研究を始め、国産化の基盤を築きます。当社の額縁はこの店に端を発し、イタリアをはじめ、欧州各国から数多くの型をいち早く導入し、国内の額縁をリードして来ました。

取締役営業本部長 内藤茂昭

<引用文献>
「額と額装」  小笠原尚司/八坂書房
「額縁と名画」  ニコラス・ペニー/八坂書房
「古径の額縁」  株式会社古径発行(昭和49年)

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